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  • 執筆者の写真奥山 俊宏

報道機関に求められる「公平・公正」は中立ではない~Z世代と探るジャーナリズム(5)

 報道機関は常に中立でなければならない――。そんな思い込みにとらわれている人が、世の中には驚くほど多い。大学の新聞学科の教員となって、大学生や高校生と会話する機会が増え、しばしばそのように思い知らされる。


 曰く、犯罪の加害者と被害者の間で記者は中立でいるべきだ。曰く、ロシアとウクライナの間で中立の姿勢で報道するべきだ。曰く、とにかく中立であるべきだ。そんなふうに若い人の一部は固く信じている。


 それら主張する人の言う「中立」の意味内容は何なのだろうか。


 そう問うと、加害者の背景事情と被害者の背景事情を等量に伝えるべきだとか、ロシアがウクライナを攻撃せざるを得ないその言い分をもっと詳しく報道するべきだとか、そんなような答えが返ってくる。

 思わず私は、そんな「中立」は間違っている、と言い返してしまう。報道機関はそんな「中立」ではなく、正しい立場を選ぶべきだ、と。加害者にも被害者にも、ロシアにもウクライナにも、だれにも与することなく、独立して、公正・公平に伝えるのが、報道機関が社会から期待・要請されている、採るべき態度だ、と。その結果、ロシアの蛮行に関する記述とその被害者の言葉で記事原稿の大半が埋められたとしても、それは誤りではないどころか、それこそが公正・公平な報道である。


 対立する2者について報道するとき、その2者の間で中立であるべき場合はありうる。しかし、いつもそうであるとはとうてい言えない。基準点が定かではないところで、「中立」でいようとすることは、かなりの頻度で、間違った結果となる。「中立」は必ずしも公正な立場であるとは限らない。さらに言えば、報道機関が「中立」であろうとすることは、ときに付和雷同をあおり、多数派の極論を増幅し、「民主主義の失敗」を招くことにつながりかねない。報道機関は、ときに「中立」を離れ、正しい立場を何者からも独立して選ぶべきだ。それが公正・公平の実質である。


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