かつて組織に属していた人も含め組織内部の個人が、その組織の不正を組織外部のジャーナリストや公的機関に明らかにして、その是正へとつながる道を切り開くのは、称賛されるべき倫理的な行動だ。しかし多くの場合、それは大変な困難と犠牲を伴う。
人格攻撃を受け、孤立させられ、仕事を干され、提訴などの脅しで威嚇され、精神的に追い詰められ、金銭的にも音を上げざるを得ないように仕向けられる、人生を賭けるも同然のリスクを抱えることになる。
今、それだけのリスクがあってなお、各地の保育園で、自衛隊で、企業で、そして、警察組織で、そうした内部告発に踏み切る人が引きもきらない。彼ら彼女らのおかげで、園児への虐待や顧客への不正請求がストップし、ゆがめられた捜査の実情が明るみの下に出され、働きやすい環境へと自衛隊の職場が改善され、少しではあってもそれらが是正され、さらに、法や制度がいくぶんなりとも改正され、すべての国民に是正の恩恵が及ぶようになる、そんな出来事が続いている。
かつて新聞社の報道現場にいた一人のジャーナリストとして、私は、そうした勇気ある人たちによって組織内部の声が外部に届けられることが、どれだけ取材・報道に貢献してくれているか、どれだけ社会の進歩につながっているか、そして、その背景にどれだけの困難や犠牲を伴っているかをよく知っているので、はからずも内部告発経験者となってしまったそれぞれの人たちに、深く頭を下げたいとの思いを抱いている。だからこそ、そうした人たちを一定の要件下で法的に保護しようとする公益通報者保護法制が創設され、改正され、運用されていく過程をずっと追ってきたつもりだ。
報道機関の記者たちにとって、内部告発者は大切な情報源であり、特に調査報道の多くでは不可欠と言って過言ではないほどに重要だ。他方、社会の支持を得て問題提起と是正を実らせつつ、何とかして身を守りたい内部告発者にとって、報道されて現状を世間に分かってもらえることが、法的な保護に匹敵すると言っていいほどに重要である。
このため、記者と内部告発者の関係には持ちつ持たれつの側面がある。しかし、かといって、べったりと癒着していいという関係ではない。記者の側は、たとえ内部告発者が相手であっても、一線を画して独立性を保たなければならない。程度の差こそあれ、政治家や権力機関幹部を取材先にするのと同様の緊張関係をはらむこともないわけではない。
「新聞論」の年明け初回の授業で2023年1月6日、私は、元オリンパス社員の浜田正晴さん(62)をゲストに招いた。浜田さんに記者との付き合いを語ってもらい、かつ、記者の側から見た取材対象としての浜田さんを私が語ることで、内部告発者と記者の微妙な関係とともに、当事者の声に耳を澄まし、それを報道に生かすことの大切さ、そして、当事者の上げる声とその報道が双方呼応しあって社会にこだまし、やがて法制度を是正する原動力となることさえあるという事実について学生に理解してほしい、と考えたからだ。
このときの議論をまとめたのが以下の論考:奥山俊宏 (2023) 「Z世代と探るジャーナリズム(第3回) 内部告発者と記者の関係が社会を変える」『世界』2023年3月号掲載。https://note.com/okuyamatoshi/n/nfd1c78085f46