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多鹿 菜々子

高校生の全盲ドラマー、上智大生とジャズでコラボ「一人で生きていける人はいない」

 視覚障害に焦点を当てたスポーツイベントが5月12日、東京都千代田区にある上智大学の構内で開催され、高校生の全盲ドラマー酒井響希さん(17)によるドラム演奏がおこなわれ、上智大学のビッグバンド、New Swing jazz Orchestraとの共演も披露された。演奏終了後、響希さんは筆者のインタビューに応じ、「一人で生きていける人って絶対にいないと思う」と述べ、「障がいがあっても輝ける場所がある」とのメッセージを世の中に伝えていきたいと活動への意気込みを語った。

酒井響希さん(前列右端から5番目)とNew Swing jazz Orchestra=2024年5月12日、千代田区麹町の上智大学6号館前で撮影
酒井響希さん(前列右端から5番目)とNew Swing jazz Orchestra=2024年5月12日、千代田区麹町の上智大学6号館前で撮影

<全盲になって出会ったドラム>


 17歳の高校3年生。大阪府出身・在住。2歳のときに両眼性網膜芽細胞腫(小児がん)で両眼を摘出し、全盲となった。


酒井響希さん=2024年5月12日、東京都千代田区麹町の上智大学6号館控室で、大島優紀撮影
酒井響希さん=2024年5月12日、東京都千代田区麹町の上智大学6号館控室で、大島優紀撮影

 全盲になってから「遊ぶものが全然なくなってしまった」。そんななか、「家の壁や柱を家であるもので叩いてリズムをとるのが好き」になった。その姿を見た母の康子さんと父の健太郎さんが、「ドラムなどの打楽器をやってみたら何か趣味にも繋がるのではないか」と考え、ドラム教室に通わせ始めた。


 両親に支えられながら日々活動する響希さん。父の健太郎さんは現在、SNSを通して響希さんの活躍を発信している。


 「もともとは私自身のただの趣味アカウントから始めて、そこにたまたま息子がドラムやってたんでちょっと載せてみようみたいな軽い気持ちでやったら、いつの間にかこんなことになってしまった」と健太郎さん。


 「何より本人が、ドラムを演奏する姿が一番楽しそうにしてますし、一番輝いてる瞬間でもあるんで、それを残していきたいなっていうのもあります」


 健太郎さんは仕事の合間を縫って響希さんの活動をサポートしている。

父・健太郎さん(左)、響希さん(中央)、母・康子さん(右)=2024年5月12日、大島優紀撮影
父・健太郎さん(左)、響希さん(中央)、母・康子さん(右)=2024年5月12日、大島優紀撮影

<ビッグバンドとの共演でジャズを初披露>


 本番当日、5月12日午前10時、練習会場となった11号館第1練習室で、大阪からかけつけた響希さんはバンドのメンバーと初めて顔を合わせた。


 響希さんがドラムを叩き始めた。心臓に響くほどのバスドラムの重低音。スネアドラムのはっきりと粒だった1つ1つの打撃音。響希さんの演奏に間が空いた瞬間、メンバー同士、互いに目を見合わせた。響希さんのパワフルな演奏に対する衝撃と感動の思いがそのアイコンタクトには込められていた。その音の力強さに負けないようにと、バンドのメンバーも管楽器で応えた。アルトサックスを担当する筆者(多鹿)は、響希さんとバンドが音を通してひとつになり、一気にテンションが高まったと感じた。

6号館講堂でおこなわれたコラボ演奏本番の様子=2024年5月12日、東京都千代田区麹町で岡崎有咲撮影
6号館講堂でおこなわれたコラボ演奏本番の様子=2024年5月12日、東京都千代田区麹町で岡崎有咲撮影

 本番では、「ライラック」、「Hi Five」、「A列車で行こう」、「Mela!」 の4曲を演奏した。J-POPの「ライラック」と「Mela!」は響希さんの独奏。ジャズの「Hi Five」と「A列車で行こう」の2曲は響希さんとバンドが一丸となって会場を盛り上げた。


トークショーに参加する響希さん(右)と川瀬さん(左)=2024年5月12日、岡崎有咲撮影
トークショーに参加する響希さん(右)と川瀬さん(左)=2024年5月12日、岡崎有咲撮影

 本番終了後のトークショーには、響希さんと、NSOでバンドマスターを務める法学部2年の川瀬進次郎さんが参加した。コラボ演奏について川瀬さんは、「酒井さんがものすごいうまいので、本当に助かって、素晴らしい演奏をしてくださって、一緒に演奏できて本当に光栄でした。」とふり返った。


 数々のイベントに出演し活躍している響希さん。ふだんは主にJ-POPを演奏しており、ジャズを演奏するのは今回が初めてだったという。


 「独特なリズムとかジャズのあの独特なノリっていうのを再現するのは結構難しかったですけど、やっぱり人と合わせるのが何より好きなので、すごく楽しむことができました。」

「J-POPとかだったら基本4拍でずっと曲が進行するので、ある程度聞いたら大体叩けるんですけど、今回はジャズということで普通のJ-POPではなかなかないような場所にキメがあったりっていうので、キメを合わせないとダサいなと思って結構聞き込みました。」 初めてジャズに挑戦した感想を響希さんはそう語った。

 

<「どんな人でも輝ける場所がある」>


 イベント終了後、響希さんは筆者(多鹿)のインタビューに応じ、自身の障がいについて考えていることを語った。


 「『見えない』というので、一番やっぱ苦労するのは移動だったり何か書類を書かないといけなかったりするときにも、代筆ができない書類も結構あったりするので、そういうときに配慮の手続きだったりはなかなか大変だったりもするんですけど、見えないことで得られた部分っていうのもあって...」


 「一番僕が感じてるのはやっぱり『耳』。」


 「すごい細かい音にも気づけるっていうのと、ちょっとした匂いの違いとか、雰囲気の違いっていうのを感じ取れる不思議な力っていうのも、それと引き換えに得ることができたんじゃないかなと思っているので、見えないのは不得意な部分として誰かに補ってもらいながら、これから頑張っていけたらなと考えています。」


 「誰かに補ってもらう」ということについて尋ねられると、響希さんは、「一人で生きていける人って絶対にいないと思う」と答えた。


 「僕は自分の苦手な部分っていうのが視覚情報だったっていうだけで考えているので、普通の人が困っている人を助けるのと同じように、僕が見えないところを、誰かに頼りながら生きていけたらなというふうに思います。」

 

 今回のイベント「CÉCITOUR TOKYO」は視覚障害に焦点をあてたフランス発のスポーツイベントで、上智大学の学生団体Go Beyondと仏ハンディスポーツ連盟によって日本に初上陸した。そこで、今年開催されるパリパラリンピックに何を期待するか聞いてみた。


 「世界で一つになって障がいのある人が輝く場所を作るっていうのはすごいいいことだと思うので、パラリンピックを通して、より障がいのある人も普通の人と同じように楽しく暮らしてるんだっていうことを知ってもらえればなっていうふうには思いますね。」


筆者(右)のインタビューを受ける響希さん(左)=2024年5月12日、東京都千代田区麹町の上智大学6号館控室で、大島優紀撮影
筆者(右)のインタビューを受ける響希さん(左)=2024年5月12日、東京都千代田区麹町の上智大学6号館控室で、大島優紀撮影

 パラリンピックの報道について、響希さんは「パラリンピックって放送の局が結構テレビも限定されちゃってるのが、すごいいまだに残念だなっていうふうには感じている」という。


 「障がいがない人からすると、『何かできないことがある』って結構タブーな部分なんかなっていうふうに感じる人も多いんちゃうんかなって思うんですけど、そうじゃなくて、それを活かして、それを武器にして努力してる方も多いと思ってるのでそういうところも取り上げていってもらえたらありがたいなっていうふうには感じます。」


 最後に、今後の活動の目標を聞いてみた。


 「音楽ってどれだけテクノロジーとかが進歩しても、その音を目で見ることってできないと思うんですよ。だから見えないからこそ表現できる音とか、作り出せる音楽っていうのを通して、『障がいがあっても輝ける場所がある』っていうメッセージと、勇気や希望や、誰かを『これから頑張ろう』と奮起させられるような、自分がそういう一助になれればなっていうので、これからも活動していければなっていうふうに考えています。」

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