王女と記者の出会いと恋愛、別れをコミカルに描いたアメリカ映画「ローマの休日」は、1953年に公開されてから70年にもなるモノクロ作品だというのに、今もなお不朽の名作としてその人気を保っている。
若きオードリー・ヘプバーンの演ずるアン王女は、親善旅行で訪れたローマで、儀礼上の責任を一方的に課せられるばかりの不自由な身の上を嫌になって、夜間ひそかに宿を抜け出し、まちかどで偶然出会ったアメリカ人男性、ジョー・ブラッドレーのアパートに転がり込む。
ブラッドレーは、自分がアメリカの通信社の記者であることを隠し、肥料など化学製品の販売を仕事にしているとウソをつき、取材目的を秘して一緒に観光し、王女の姿をライター偽装カメラで隠し撮りする。取材目的でのいわば潜入取材を試みたのだ。しかし…。
やがてブラッドレー記者は、取材対象であるはずの王女と恋愛関係に陥っていく。最後、ブラッドレー記者は、その私的な感情を優先し、報道を差し控えると決意し、映画は終わる。
ジャーナリズムの倫理の観点から、こうしたブラッドレー記者の行動をどのように分析することができ、どのような学びを得ることができるだろうか。新聞記者を33年経験した私と、Z世代の学生たちが議論した。その結果をまとめたのが以下の原稿:奥山俊宏 (2023) 「Z世代と探るジャーナリズム(第2回) 『ローマの休日』に見る記者と取材対象、密着の倫理」『世界』(966) pp. 263-267, 2023年2月 https://note.com/okuyamatoshi/n/ndaeae261d882