

歌舞伎町の同一ビジネスホテルそばで3週間に4人が転落死
東京都新宿区歌舞伎町1丁目の高層ビル「新宿東宝ビル」の周辺に集まる十代の若者たち「トー横キッズ」の間に、進学をあきらめ、将来の選択肢を狭めるだけでなく、自殺したいとの願望が漂っている。2024年9月には、歌舞伎町1丁目にある同一のビジネスホテルで少なくとも2組4人が飛び降りる悲劇が起きた。コロナ禍の影響で2020年以降、トー横キッズは増えてきており、薬の“オーバードーズ”や“パパ活”が常態化している。


能登半島・和倉温泉の七尾市で被災、1月1日から書き続けた日記
石川県の能登半島・和倉温泉そばに住む五本木ゆみ子さん(76)は2024年1月1日、日記をつけ始めた。その日、能登半島地震が発生し、五本木さんは避難生活を強いられた。その日々を「残さなあかんと思った」。その抜粋を紹介する。


長崎で被爆した4歳の少女は84歳に「日本人だからこそ言えることがある」
長崎七高山の一つに数えられ、古くから信仰の山として崇められる岩屋山の東側のふもとで、1945年8月9日午前11時2分、当時4歳、今は84歳の鶴文乃さんは被爆した。家の外が青く光り、障子は燃え、家の柱が落ちる。母が慌てて衣類で火を消そうとした。鶴さんは、被爆80年を前に学生記者2人に、「これが学生や若い人たちに話す最後の機会」と思いながら、自身の被爆体験や平和への願いを語った。


「歴史を学び、声をあげよう」ノーベル委員長が日本被団協代表委員らと上智大で講演
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員・田中煕巳さん(93)と、日本被団協に昨年のノーベル平和賞を授与したノルウェー・ノーベル委員会のヨルゲン・バトネ・フリードネス委員長が7月27日、上智大学四谷キャンパスでそろって講演した。フリードネス委員長は被爆者の活動について「世界が必要としている光だ」と評価し、講演を聞く若者たちに「歴史を学び、忘却を拒否し、声をあげよう」と呼びかけた。


Xフォロワーの伸び、参政が国民民主の5倍 神谷代表は1日8千増、一時失速するも盛り返し、独壇場を維持
参政党の神谷宗幣代表のX(旧ツイッター)アカウントは、参議院選挙の公示直後の7月4日から翌5日にかけての1日でフォロワーをおよそ8千増やし、昨年10月の衆院総選挙の際の玉木雄一郎・国民民主党代表のXアカウントの最盛期の勢いを上回った。参政党のXアカウントのフォロワー増加数も、公示された3日から投開票日の20日まで、毎日1千を超え、国民民主党など他党を寄せ付けなかった。選挙期間中に1日で1千人以上フォロワー数を増やしたのは参政だけだった。


「103万円の壁」にバイト学生から暮れに悲鳴噴出「最低賃金もう上げないで」との声まで
「時給が高くなるよりも103万が178万になったほうがよっぽどありがたい」――。東京・永田町にもほど近い上智大学のある授業で、学生たちから「103万円の壁」に苦しむ声が多く寄せられた。暮れには「働き控え」で人手不足となるアルバイトの現場も。


兵庫県知事選、斎藤知事、立花党首がXフォロワー増で稲村氏を圧倒
兵庫県知事選挙公示期間中の斎藤元彦氏のX(旧ツイッター)アカウントは、連日3千以上の増加ペースでフォロワーを拡大した。同選挙に立候補した元尼崎市長・稲村和美氏の10倍の増加で、特に投開票をはさむ17日から18日にかけて1日で2万9147人ものフォロワーを増やした。


総選挙公示期間のXフォロワーの伸び、国民民主がれいわ、参政の倍、自民の5倍余
衆院総選挙の公示期間の終盤、国民民主党の玉木雄一郎代表のXアカウントはフォロワー数を爆発的に伸ばした。これと対照的に、石破茂首相のXフォロワーは、10月9日の衆院解散のころから伸びを鈍化させ、やがて選挙戦終盤にはマイナスに転落し、フォロワー数が減る日が続いて投票日を迎えた。


高校生の全盲ドラマー、上智大生とジャズでコラボ「一人で生きていける人はいない」
高校生の全盲ドラマー酒井響希さん(17)と上智大学のビッグバンド、New Swing jazz Orchestraが共演した。響希さんは「一人で生きていける人って絶対にいないと思う」と述べ、「障がいがあっても輝ける場所がある」とのメッセージを世の中に伝えていきたいと語った。


石丸伸二市長と議員の対立を描く社会派演劇 演出中津留章仁氏に聞く「掟」
広島県安芸高田市の石丸伸二市長をめぐる対立を素材にした演劇「掟」は下北沢で2月に上演され、それが映画となって、8月30日、公開される。脚本を書いた中津留章仁さんにインタビューした。劇団トラッシュマスターズはもともと「世直し」をテーマに掲げ、地方自治を取り上げてきた。


82歳の今も夢に原爆「お母ちゃん助けて」、原子力に「これが地球を救う」
広島市内の中心部で被爆したときは3歳だった。爆風でガラスが左上腕に刺さり、傷口が閉じるのに7年かかった。三菱重工業に就職して原子力を学び、原発建設のために重機を提供する仕事に携わった。飯田國彦さん(81)は、上智大学新聞学科の学生たちを前に、自身の被爆体験を語った。















































